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2/29(土) 9:07
『上海ハニー』や『花』といったヒットソングで、誰もがその名を知るところとなった沖縄の5人組バンド、ORANGE RANGE(オレンジレンジ)。以前のようにテレビや映画、CMなどで見聞きすることは少なくなったが、現在もライブ中心に精力的に活動を続ける。ORANGE RANGEは、なぜマスメディアと距離を置いたのか。「喜んでもらえるものこそ正義」の真意を聞いた。(
2003年、ORANGE RANGEは電光石火の勢いで世に飛び出した。デビュー当時は全員二十歳そこそこ、RYOにいたっては高校生だった。デビュー翌月にリリースした『上海ハニー』はノンタイアップながら20万枚以上も売り上げ、名実ともに代名詞となる楽曲を手に入れた。YAMATOは「でも実は、『上海ハニー』にフィットしていないメンバーもいたんですよね(笑)5人みんな好きな音楽ジャンルもタイプもバラバラ。デビュー当初はかなりバチバチと意見を交わすこともありました。最初はもう『バラードなんて絶対やらない!』って言っていたくらいで」と明かす。
そんな彼らにとって初のポップなサマー・ソング『上海ハニー』のヒットで考え方が一変した。
中略
20代前半にして手に入れたケタ違いの人気――。次々と新曲を作りながら大都市ツアーもこなさなければならない。予算やスタッフの数、寄せられる期待、映画やドラマ、CMなどのタイアップ、気づけばORANGE RANGEに関わるすべてが大きくなりすぎていた。好きなことを自由にやる、そんな姿勢にも変化を求められた。
「タイアップだと、もちろん『こういう曲を作って』と言われます。作品に合わせて『泣ける曲を作って』と言われることもある。もちろんそういった要望も聞きつつ、でも自分たちのやりたいことも通さないといけない。『花』とかは、そういう感じで学びながら生まれた曲です」(RYO)
ひとつひとつのことに向き合いつつも、楽曲作りだけではなく、バンド方針すらも5人だけですべてを決めることは難しくなっていた。
「当時『もっとグローバルに発信したい』と思っていました。そのためにYouTubeで楽曲を公開したかったんですが、今のような時代ではなかったのでなかなか難しかったですね」(YAMATO)
自分たちのことなのに、周りの大人たちがあらゆることを決めていく。しかしその状況を、YAMATOは「僕たちの若さや甘さから生まれた状況でもあった」と振り返る。何もかもが目まぐるしく変わる日々の中で、目の前にあるものを消化することに必死になっていた彼らは、自分たちを見失いかけていた。
中略
「あえてテレビ番組に出ないということもなくて。呼んでいただけたら出ることもあって。でも一番はやっぱり自分たちでライブをして、待ってくれている人たちに届けること。これだけは、この先も一番大切にしてきたいんです」(YAMATO)
ORANGE RANGEはもう『上海ハニー』や『花』など、過去のヒット曲は歌わないのか。5人に聞くと、「めっちゃ歌います(笑)、それが一番お客さんが盛り上がるから」とかえってきた。
彼らにとって「喜んでもらえるものこそ正義」という気持ちは変わらない。ORANGE RANGEは昔も今も、目の前で喜んでくれる人たちと一緒に音楽をやっていく。それが最優先なだけだ。
全文はソースをご覧ください
(iPodじゃなくてウォークマンを買わせるために当時のソニーはiTunesで楽曲配信してなかった)
未だにロックフェスのメインステージで客パンパンだから消えたと思ってるのは中高年より上だけだろ
でもテレビから消えてんじゃん
信者商売ならしばらくは大丈夫ですばい
いまこいつらみたいな良くも悪くもたたきがいのある
アーティストって少なくなったな
テレビはcd売るための宣伝の場
だから時間の無駄
ライブでチケット売れば確実に人気が金になる
引用http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1582956644/75-